肺がんの手術をこれから受ける予定の方、もしくは手術自体生まれて初めてだよ~~!って方は、手術って聞いただけで怖いし痛そうだし…
不安だらけですよね~~~!
私は手術2回目なんですが、今回は死にそうなくらい痛かったの~~~~~!

そこで、今回私が体験した肺がんの手術の直前と直後、
8月26日、朝9時から肺がん手術を受け、そして午後2時頃に集中治療室(HCU)に移動してから、翌日の朝10時頃に一般病棟の個室に移動するまでをレポートします!
めっちゃリアルにお伝えしちゃいますよ~~~!
といっても、麻酔がかかった5時間は、まったく記憶がないんですけどね~!
肺がんの手術、直前レポート

肺がんの手術は、前日夜の9時以降、食事はもちろん水分も摂ることを禁じられていました。
これに対して12年前の乳がんの手術のときは、まったく眠りにつくことができずに、夜中の日付が変る頃に、睡眠導入剤をもらって飲んだということがありました。
今回はそんな心配はいらないほどに、心穏やかに眠りにつくことができました。
しっかり眠って清々しい朝を迎えました。
歯を磨いて洗顔して、あとは、お迎えが来るのを待つ!
とその前に…
手術後は、集中治療室に一泊する予定なので、今のお部屋には戻って来ません。なので自分の荷物は全部コインロッカーに入れます。
80歳の母が今日は手術の立ち会いをしてくれます。
母は自宅からタクシー、電車、バスを乗り継いで2時間かけてがんセンターに来てくれました。
余談ですが、母は今年の3月から原因不明の右のふくらはぎと腰痛をかかえて、一時は歩くことも困難でした。病院を4カ所、鍼灸治療院を2カ所を渡り歩きましたが、有効な治療がないままどうしたらいいのか暗中模索していました。
そんなんしてたら、なんと私の肺の腫瘍が発覚、そして運命の告知の7月24日、転移がなく肺の腫瘍を取る手術をすることが決まった次の日、なんと、足腰が治ってしまったのです。
不思議で仕方ありません…。
そして8時45分、看護師さんが手術のときに着る術衣とガウン、それからマウスピースを持ってきてくれて着替えました。もちろん、パンツははいてないので、スッポンポンです。
マウスピースもその場ではめました。コンタクトレンズは、手術室に入ったら外すことにしてます。
「じゃあ、行ってくるね~~~」と同室の方に、気軽にあいさつをして、いざ2階の手術室へ!
自分の足で歩いて行きます。
そして、手術室の前で、母と別れて「じゃあね~、行ってくるね~~」と手を振ると、母は満面の笑顔で「頑張ってね!大丈夫だから!」
がんセンターの手術室は、1つ目の手術室の自動ドアの奥に進むと、もう一つ自動ドアがあります。
病棟の看護師さんと二人でもう一つそのドア進むと、私の手術を担当してくれるメイン看護師の赤間さんがにこやかに私を迎えてくれて、そこで病棟の看護師さんが、「頑張ってね!」と顔を少し赤らめた感じで、私を送ってくれました。
目と目が合いました。なんかこんな一場面一場面が、目に焼き付いています。
そして、履き物を変えて、もう一つドアを進むと、6人くらいの手術着をきた人に囲まれ、みんなで輪になっています。
因みに、手術担当の看護師さんの着ている服は、なんと、薄紫の地に大きなハイビスカスのような花があしらわれているカラフルなトップスを着ていました。
ボトムスは濃いえんじ色の綿パンです。
そこで、赤間さんから名前と手術する臓器、そしてどちら側かを聞かれて、間違いがないことが確認されると、私も円陣の仲間入りをして、みんなで「よろしくお願いします!」
ここであることを忘れました。それは最後に~~。
そして、1号の手術室へ!
このがんセンターは、手術室は6つあります。
ここでビックリ!!!!!
トコトコと手術台に近づくと、なんと、手術台が、フワフワのスポンジで覆われていたのです!

実際の手術台は、このスポンジの突起が高さ5~6センチはあるかというフカフカのスポンジで覆われていました。
私は「ウワーっすご~い!」なんて言ったか心で思ったかは忘れましたが、嬉しい気持ちになったことは確かです。
通常は平たい硬い手術台ですが、私は右手を万歳して右の脇腹から胸腔鏡手術を受け、その手術予定時間は5時間です。
なので特別のフワフワ仕様になっていたと思われます。
そして、ガウンを脱いで不織布の術衣になり、そのこんもりしたフカフカベッドに仰向けに寝ると、すぐ麻酔医の男の人が、あーだこーだ説明です。
要するに麻酔がかかると、自力で呼吸ができないことから、ぶっとい先が斜めに軽くカーブしたプラステックの筒(太さは私の親指くらいで、長さ30センチはあろうか)をのどにぶっ刺すとのこと。細いチューブじゃないですよ!私の場合…
まあそれはいきなり麻酔が効いているからまあいいとして、何が怖かったかというと、麻酔から醒めて意識が戻ってからそれを抜くので、その時はガマンして下さいって~~~~~!
って、「え~~~!絶対無理!歯ブラシを口に入れてもオエッってなるのに~~~!」
と心で思ったものの、フワフワスポンジの手術台に乗って、もう口と鼻を覆う酸素マスクをされて、私はここまできて、それは嫌です!なんていえませんでした。
そのあとすぐ、意識はなくなりました。
肺がんの手術、無事終わり…直後レポート
「○○さん、○○さん」と、遠くから呼ぶ声が~~~。
あっ、手術終わったんだ…そして、もう口からホースは外れてるぅ~~~!
と、なんだかホッとしたような、ボーッとした感じですぅ…。
このときはまだ痛みはそんなに感じません。
と、このとき、主治医の先生は、あっさり、「原発の悪性腫瘍だったから、右中葉全部取ったからね!」ニコって~~~!
手術前の段階では、乳がんからの転移か、原発の肺がんかは不明だったので、手術中に組織検査をして、そこで部分切除か、右肺中葉を全部切除するか決めますね!って言われてました。
私は、「あ…そうなのね…」と喜んでいいのか、ショックだったのか、分からないまま、「ありがとうございます…」なって言ってみたりして…。
ただ両手首には点滴の管①②、左手の人差し指には酸素を測るクリップみたいなもの③、両足には足の血流を促すためのマッサージの機械④、そして腕には血圧計⑤、胸に心電図シール⑥、胸の横には、ドレーンという血液を抜くための管⑦が、そしておしっこをあそこから直接 取るために 管⑧が…
すごいね!
もうがんじがらめになって、何時間が過ぎたのか~~、集中治療室(HCU)に戻ってきたのが、午後1時半頃らしい、そしてしっかり目が覚めたのが、何時かは分からない。
今晩HCUに泊まるのは、6人らしいが、私の視界には二人の気配しか見えない。
そして、だんだん身体がしんどくなってきた…。
傷の痛みとかは、あんまり気付かないけど、なんしか、右腕の上腕が重だるい…、そして、右の首から肩、右の肩甲骨当たりの背中が、痛いような、重いような、微妙につらい…
身体をちょっと左向きにしてもらっても、つらい…。
クッションを入れてもらってもつらい…。
でも、まだあの激痛はない!
あと数時間後にくる激しい痛みはこのときはまだ知るよしもない。
ガリバーになったような感じって、皆さん想像つきますか?
上向きで細いロープでがんじがらめのような感じです。
ここで集中治療室(HCU)の様子を少ししゃべっちゃいます。
私も生まれて初めて入りましたが、大きなだだっ広いお部屋で全部カーテンのみで仕切られています。
そして、私のスペースは10畳くらいでしょうか?
ベッドの周りにはたくさんの機械があり、一ベッド毎にパソコンが置いてあって、何かの処置をすると、看護師さんはそこに打ち込むわけです。
そのキーボードのタイピングが早いのなんの、あっちこっちで看護師さんがたたいているんですが、最初その連打の早さに、キーボードに文章打ち込んでるとは思えませんでした。
そしてもう一つ、看護師さんは全員30歳から40歳くらいまでの、 女子アナ のように若くて美しい人ばかり。
そして患者さんに向かう姿勢が、一定の優しさと丁寧さと、機敏さを備えている。
私のベッド 隣のにいらした方は、少し認知症が入ってるらしく、やり取りが大変だったのですが、それも、感情的にならずに、上手に対処してました。
さすがHCUだわ~~~~なんて勝手に感心したりして…。
この時点では、傷の痛みはまだ無く、とにかく右上腕と背中痛って感じです。
私は右の中葉肺を全部取っているので、酸素を上手に取り込むことができなくて、酸素マスクにしたり、鼻からのチューブにしたり…。
そして、うつらうつら…何時間経ったでしょうか?
夜が明けたみたいで、私は、まず歯磨きをしました。半分ベッドを起こしてもらって…、そして顔や身体を拭いてもらって…、T字帯というパンツの替わりのものを身につけていた私は、きれいな看護師さんにいろんなところを拭いてもらってから、自分のパンツに履き替えさせてもらいました。
その頃からです。なぜだか、右のおっぱいの下あたりが痛い!
いよいよあの激しい痛みが襲ってくる!
ビーンって響くように痛い!
そして、朝ご飯の時間になり、重湯と目玉焼きが出て、身体を起こされかけると、激痛が!!!!!!
二日ぶりの朝食で、目玉焼きも食べたい!
しかし、激痛が~~~~~~!
「 痛 たたたたたたた~~~~!」
看護師さんが体位を変えて傷みを軽減しようとしてくれるのですが、起きても、寝ても、横向きも、ダメダメ~~~~!
中途半端な態勢をしていると、先生と連絡した看護師さんが、レントゲン写真を撮りましょうとなり、ベッドから起きて横向きに腰かける態勢にすると言うのです。でも私は、
「 痛たたたたたた~~~~!いたい!いたい!」
それでもレントゲン写真撮るって~~~~!
もう気を失いたかった~~~でも、気を失うこともなく、痛い、痛い、痛たたた~~~~~!
それから、何分経ったでしょうか?
途中から、ドレーンを抜くしかないね!と先生だか、看護師さんだかが言ってて、でも抜くのも怖~~~~い、絶対痛いわ!
どれくらい時間が経っているのかまったく分からないけど、HCUに一人響き渡る声を上げ続けていました。
どんな態勢してもいたみが軽くならないまま、ベッドに中途半端な格好で横たわっていた私のところへ、どこからともなくシルベスター・スタローン 似の主治医の先生が現れ、
「仕方ない、ドレーン抜きましょう!」
ベッドに腰かけるように 私を起こして、 その態勢を変えるちょっとした動きも私は絶叫して続けています。
ドレーン抜くのも、直径5ミリくらいしかないかもしれないビニールの管が、胸の横をズズズズ~ってなるのを、瞬時に想像して、
「怖~~~~~い!止めて~~~~~!でも痛~~~~ い !」
先生は、そんな私に構うことなく、パッと管を抜きました。
私「あ、ありがとうございます!もう痛くないです!」
チャンチャン
先生は患者さんがこんなに痛がったの10年ぶりかな~~(笑笑)ですって!
まとめ
ドレーンが、胸のどこかの神経に障って、激しい痛みに襲われましたが、それがなければ、肺がんを手術したことによる痛みは、そんなでもなかったと思います。
そのあと、個室に戻ってからまあ、肺を5分の1切除しているので、体力も無くなってはいるけど、今回胸腔鏡手術だったので、傷の痛みは本当に軽かったです。
お風呂も手術の次の次の日から入りましたしね!
これを読んで下さったもしかして肺がんの手術をこれから受けようとされている方、大丈夫!
先生もおっしゃってたとおり、10年ぶりの絶叫でしたから~~~!
それから、手術前にコンタクトレンズを外すのを忘れて、ずっと付けっぱなしで、手術を受け、HCUで過ごしていました。
それに気付いたのが、あの激しい痛みに襲われる直前でした。